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出向先との別れと初めてのフルマラソン

最後の投稿から1年以上も経ちましたが、出向先の地方都市を離れることになりましたので久しぶりに投稿します。

先日、来年度の人事異動が発表されまして、僕は4月からスポーツ庁の本庁に戻ることになりました。東京オリンピック・パラリンピックまで残り500日を切り、スポーツ庁としても本格的な準備に向けて人手が必要なのだと思います。3年前に初めてこの町に来たときは不便な生活環境にカルチャーショックを受け、「早く東京に帰りたい」と思うほどでした。でも、3年も住んでみると、東京にはない自然や文化があって魅力的なところが見えてきて、離れるのが少し寂しいです。

この3年間はマラソン大会の企画・運営を中心に市のスポーツ事業の活性化に取り組みました。ハード面では老朽化した体育館やプールの改修を行うとともに、最新のトレーニングマシーンも購入しました。ソフト面では小中学生の体力を上げるために、富山県で20年くらい行われている「みんなでチャレンジ3015」を参考にした体力向上プログラムを始めました。こういった取り組みの効果が出たかは分かりませんが、町の健康寿命が長くなったようですし、小中学生の体力が初めて全国平均を上回ったようです。スポーツが苦手な僕が、縁もゆかりもなかった地方都市のスポーツ事業を活性化できるなんて驚きです。

市民にスポーツを奨励している立場なので、僕もランニングを始めました。運動をするのはかなり久しぶりで、大きな公園で走っていると女性やご年配の市民ランナーによく抜かれます。でも、「生涯スポーツは自分のペースで無理することなく続けることが大事だ」と仕事で学びましたので、マイペースで走り続けています。

そして、2週間前には初めてフルマラソンを完走しました。地元の大会は運営の仕事で参加できないので、抽選で当たった東京マラソンを選びました。冷たい雨で体が冷えたせいで30km以降は足が動かなくて何度も立ち止まったり、歩いたりしましたが、5時間32分でゴールしました。東京マラソンの日は多くの道路が封鎖されて、地下鉄がかなり混むので、スポーツ庁に異動する前は「なんで東京のど真ん中でマラソンをするんだ?」と思っていました。しかし、実際に走ってみると東京の街並みがよく分かって楽しかったです。

また、地元の大会と同様にランナーやスタッフ、沿道の地域住民が一体になっていると感じました。やっぱりスポーツの力はすごいですね。来年の東京オリンピック・パラリンピックでもこのような感動を生み出せるように4月からの仕事も頑張ります。

そして今年も

今年もマラソン大会が行われた。今年も天気は曇り。暑すぎず、寒すぎない、走るにはちょうど良い天気だった。

昨年のマラソン大会後、出店者や市民から「来年もまたやってほしい!」と大盛況だったので、予算会議でマラソン大会の予算を確保し、春から出店交渉や準備を進めた。今年は市民も楽しめるようにマラソン講座を設けたり、出店ブースも増やした。でも、まだまだできることはあると思う。

改めてマラソンについて調べてみたが、マラソンは運動神経に自信がなくても気軽に始められるということで、幅広い世代に人気の高いスポーツと知った。確かに、マラソン大会を開催して「こんなにたくさんの人が走るのか!」と驚いたが、改めてマラソンへの人気の高さを感じることができた。県外からわざわざ来た人もそうだが、先輩のお父さんだってそうだ。普段は全然運動なんかしていなかったのに「市がマラソン大会をするなら!」言って、同級生と一緒に二年連続で大会に参加してくれた。

『スポーツとまちづくり』(http://sports-townplanning.com/)というサイトにあるように、地元への経済効果も想像以上だった。スポーツが地域振興に貢献していることを、今更ながら改めて実感した。

春から市内のお店に行っては出店交渉をし、マラソン大会告知のためにポスターとチラシを持って行ってお店に貼ってもらうようお願いをした。中には断られ、相手にしてもらえないお店もあったが、基本的には「いいよいいよ」「市がやるイベントなら協力する」「私たちもお客さんに来てもらいたいしね」と好意的だった。前日から町はランナーでにぎわい、経済効果もあった。

教育を良くしていきたいとの思いで選んだ進路で、地方都市に飛ばされたときは落胆したが、このような経験ができるとは全く予想もしていなかった。今までスポーツはあまり得意ではなく避け続けていたけど、これを機にマラソンを始めてみても悪くないかもしれない。何よりここは空気がおいしく、走っていても気持ちよさそうだ。そしていつか、マラソン大会に出てみようと思う。

マラソン大会当日

マラソン大会当日は曇り。雨じゃなかったのが幸いだ。僕はマラソン参加受付と、給水所でランナーに飲み物を配る係を担当することになった。また、市のPRのために、受付会場に地域の特産品や名物料理を振る舞う露店を出店した。早朝から準備の人で会場はにぎわっていた。僕は会場で準備をする人々を見ながら、参加者に地域のことを知ってもらいたい。地域振興につなげたい。そう考えながら日々お店の人、地域の人の協力のもとで大会の準備を進めてきた日々を振り返っていた。

最終的に20近くの店が協力してくださり、どの店も大盛況だった。協力してくださった方からは「大変だし最初はあまり店を出したくなかったけど出してよかったよ」との声をいただき、マラソン大会に参加した人からは「地元の食を楽しめてよかった」「新鮮な野菜を安い値段で買えた」という会話を耳にし、参加者にも喜んでもらえてよかったとホッとした。

受付終了後に給水所へ移動。いつもの日曜日とは違う町の雰囲気に、僕は不思議とドキドキした。沿道では沢山の人が駆けつけ、ランナーに向かって「がんばれ~」と手を振ってエールを送った。僕はランナーに飲み物を渡してったが、中には市役所の職員や、大会の準備を通じて知り合った人やその家族もいた。一緒に飲み物を配った先輩職員は「親父が同級生と一緒に走るって申し込みしたんだけど、大丈夫か心配で・・」とハラハラしながら見守っていたが、最後まで怪我無く走り切ったようだった。

初めてのマラソン大会は定員以上の申込みがあり、たくさんの人が町に訪れ、成功のうちに終わった。普段は寂しい町が、マラソン大会というイベントを通して確かに一体化した。「健康寿命の長い町」は、こういうことなんだろうなとふと思った。そして、初めて自分が企画から携わったイベントが無事に開催されて、喜んでくれる人がいることが感慨深かった。

準備、準備、準備

春に企画したマラソン大会は、11月の第三日曜日に開催することになった。

東京にいた時にはイベントの企画・運営をしたことがなかった。そのうえ見知らぬ土地で、初めてのマラソン大会を開催することになり、不安要素も沢山あった。当日の天候。怪我、事故は無いか。参加者は集まるのか。出店してくれるお店はあるのか。こうした不安には一つ一つ向き合い対応していった。

天候についてはどうしようもない。予備日を設けるか協議したが、予備日は設けず雨天決行で決まった。

怪我、事故は起こさないように準備をしっかり行い、またプログラムに準備運動を入れ、走り終わった人にはクールダウンの運動を呼びかけるように決めた。

参加者集めについてはマラソン好きの職員が「ランネット」というサイトを活用することを提案してくれた。「ランネットでマラソン大会を検索できて、しかも応募もできるからかなり便利だよ。ランネットに掲載してみたら」と教えてくれたおかげで、県内だけでなく県外からも多くのランナーから参加申し込みが入った。また、広報がSNSを活用してマラソン大会の情報を流したり、ケーブルテレビでマラソン大会のアピールを積極的に行ったのもかなり効果的だった。

大会前日。普段そこまで人通りの多くないこの町に、全国各地から数千人の参加者が集まって町は活気づいていた。駅前の商店街は英気を養うランナーたちで溢れかえり、この日は市内のホテルもほとんどが満室になったようだ。

前日は朝からずっと慌ただしく動いていた。会場確認、備品の運搬、出店者への挨拶や場所誘導、準備の手伝いなど、あっという間に時間は過ぎていた。

自分が初めて企画から携わったマラソン大会。無事に開催されるか、事故無く、みんなに楽しんでもらえるか気になってなかなか眠れなかった。

初めてのイベント企画

2016年春。僕はとある地方都市に飛ばされ、そこで初めて担当した仕事がマラソン大会の企画・実行委員の仕事だった。朝の朝礼で市長が「スローガンである健康寿命の長い町を実現するため、マラソン大会を開催しよう」と言ったのがきっかけだ。

市長の言うとおり、この市が掲げるスローガンの1つに「健康寿命の長い町」というものがある。老若男女問わず健康に過ごせる町づくりを軸のひとつとして掲げているということを、実はこの時初めて知った。(もちろん、その後他のスローガンも確認した)

マラソン大会を企画・運営するための実行委員会が結成され、スポーツ振興課の職員はその中心に、もちろん僕も実行委員の一員に加わった。東京にいた時はイベントを企画・運営するということがなかったので、慣れない環境に飛び込んだばかりの僕にとって不安と、わからないことの連続であった。

マラソン大会に限らず、イベントを開催するには様々な人たちの協力を取り付ける必要がある。それに市が主催するとなると税金を使うことになり、イベントで使える予算は限りがあった。そして、その予算以上の地域貢献につなげる内容にしなければならない。

僕が何よりも大変だったのは地域の人たちとのコミュニケーションだった。自分とは違う環境で育ち、違う論理で動いている人と関わることはとてもストレスで、初めのうちは衝突することもあった。『なぜ僕の言っていることがわからないんだ?!』という気持ちで相手に接していたが、これではいけないと、自分から相手のことを理解しようと考えを改めた。『なぜ、この人はこう言っているんだろう?』と相手のことを理解しようと考え、行動した結果、徐々にコミュニケーションが上手く取れるようになった。

この地域の人たちは『こいつは自分たちの仲間だ』と思ったら最大限に協力してくれる。村社会的な考えに初めは面食らったが、相手を理解し、行動したことで問題を打破できた。

東京から出なかったらできなかったであろう濃密な人間関係を築いた僕は、今では市内を歩くと「あ、●●さん!」と挨拶や会話をする人が増え、時には「これ持ってって!」と野菜や手料理をもらうことも。東京ではありえないことが、ここでは日々あたりまえに繰り広げられている。