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フィギュアスケートの話

ついこの間、東京オリンピックが終わったところと思っていたら、いつの間にか冬のオリンピックでした。
同じ年に開催されたわけではないのに、スパンが短すぎて、1年に夏も冬もオリンピックが開催されたような、変な感じです。

夏のオリンピック、冬のオリンピックと、両方合わせるとものすごい数の競技がありますが、僕が一番好きな競技は、実はフィギュアスケートです。
僕自身は、フィギュアスケートの経験はおろか、友達とスケートリンクに遊びに行ったときはまともに立つことすらできず、スケートはどちらかというと苦手なスポーツです。
それに選手の演技を見ていても、トリプルアクセルやらルッツやら、技の区別は全くつきません。知識もありません。
でもテレビでフィギュアスケートの大会とかがやっていると、なぜか見てしまうのです。

たぶんフィギュアスケートを観るのが好きになったきっかけは、ソチオリンピックでの浅田真央選手の演技だったと思います。
確か日本ではライブ放送が夜中だったと思うのですが、当時、テレビにかじりついて観戦し、一人で号泣した記憶があります。
ボロボロだったショートプログラムからの、フリープログラム。彼女にとっては、それが最後のオリンピックでした。
最後のジャンプの着地の際に力強く前に差し出した手、そして演技終了後、涙をこらえて上を向く彼女の姿が、未だに脳裏に焼き付いています。
あれからもう8年経っているというのに、このブログを書いている今も、思い出し泣きしそうです。

浅田真央選手引退後は、すっかり羽生結弦選手のファンになっています。
彼のプーさん好きや、ちょっとキザったい行動なんかをみると、恥ずかしくなってしまうのですが(笑)、とはいえ演技中の彼の表情なんかは、男の僕でも、かっこいいなと思ってしまいます。
普段はどちらかというと気弱そうな、大人しそうな感じに見えるのに、演技中はガラリと顔が変わりますよね。まさに『演技』というか。
記憶にある人も多いと思いますが、金メダルを獲得した、平昌オリンピックの陰陽師の演技は本当に素晴らしかった…
なんて技の名前かわかりませんが、片足を伸ばしてしゃがんでいるときの、挑戦的な表情がすごく印象に残っています。

そんな彼が、こないだの北京オリンピックで新たな偉業を成し遂げました。
そう、前人未到の4回転アクセルです。着地自体は失敗してしまいましたが、4回転アクセルとしての判定が史上初めてつきました。
彼の挑戦する心意気にやられながら、今後のフィギュアスケート界がますますおもしろくなっていきそうだなと、期待に胸が膨らみます。

自己紹介みたいなもの

ふと、この仕事をするまでの経緯と、この仕事を通じて感じたことなどを残そうとブログ設立。

僕はもともと教育に関心があり教員を目指して大学進学しが、大学進学後に『教育を行政の立場から良くしていきたい』と思うようになり、文部科学省を目指すことに。必死に勉強し、運良く内定を頂き、文部科学省に入庁した。

2015年にスポーツ庁が発足した時、僕はそこへの異動を命じられた。もともと運動が苦手で体育の時間もあまり好きではなかった自分にとっては全く未知の領域で、また教育を行政の立場から良くしていきたいという思いもあり、スポーツ庁への異動がとても不安だった。次の年、2016年には出向を命じられて、とある地方都市へ行くことに決まった。

テレビドラマの影響で僕の中では「出向=左遷」というネガティブイメージがあった。しかし先輩から「国家公務員の出向の目的は違う場所での経験を積ませることにある。キャリアの中に、出向は必然的に組み込まれているものだよ」と言われた。生まれてからずっと東京で過ごしてきた自分にとって、慣れない環境にいきなり飛ばされることはショックで「なぜ自分が」と相当落ち込んだものだ。

僕が行った地方と東京では生活環境が何から何まで違う。まず電車の本数。朝夕は30分に1本なんとかあるが、それ以外は1時間に1本が当たり前。スーパーや飲食店は国道沿いに集中して建っており、町中はさびれている。家は町中にあり、最寄りのスーパーへ歩いて行くと20分はかかる。東京みたいに、町中にスーパーや飲食店、公共施設をコンパクトに配置すればいいものの、あっちこっちてんでばらばらに建っているのが理解できなかった。国道沿いに建つ=車社会なのだろう。郷に入れば郷に従え。僕も車での移動が増え、東京にいたときは身分証でしかなかった免許が大活躍するようになった。

東京と地方では人の雰囲気も全く違う。ここの職員は全体的にのんびりしている。東京のせかせかした雰囲気は苦手なところもあったが、ただここの職員はあまりに仕事が遅すぎてイライラすることも少なくない。しかし、1年もすると町や人に慣れてきて、移り住んだ当初に比べるとイライラする事が減った。というより、「いつまでも東京と比べてもしかたない」と諦めてから、町や人を見る目が変わり、近頃は地方での暮らしも悪くないな、と感じるようになってきている。